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ぜひ読んでもらいたい

江島健太郎 / ネット・リテラシーと民主主義と

江島健太郎氏の上の記事から大量に引用します。考えている事を的確な文章に出来る人はすばらしいです。おかしな引用の仕方をしているかもしれないから原文をちゃんと見て、自分で考えてみてね。

現代人は独立独歩を志向し、古典的な意味での宗教や政治から自由であろうと意識過剰になるあまり、ネットという新しい社会空間に適応するために自らを新しい宗教観・政治観の構築に向かわせているということにあまりに無自覚だ。現代社会学の通説によれば、人間は個人である以前に集団の構成員である。自らを無党派・無宗教の自由人だと信じている現代人こそ、この解釈をもっと慎重に受け止める必要があるように思う。
僕たちは、集団で「これが普通の考え方だ」と思っていることが、ただの集団の思想であるということ。普通って何さという訳。例えば日本人には無神論の人が多いと思うけれど、それは「神がいない」ことを信じている宗教な訳で、自分(たち)の事に関しては無自覚な人はそれに気づいてない。

みんなと違う少数の人たちの行為は気になるけれど、その自分を含むみんなについては、あんまり気にならないという訳。しかしながら、ネット上では、いろんな思想や信条を持った人たちが集まるわけで、そこに齟齬が生じる。特に2CHとかは。で、江島氏はこう提案する。
ネット空間を広域に横断する規制の議論も出てきてはいるが、それよりもあらゆるオーディエンスがネット上に自分の(信念の拠り所としての)安全地帯たるホームグラウンドを持てるようになることが、ネットを真に社会の一部として平和裏に取り込む第一歩ではないか。
まぁ、希望的過ぎる気がするけれどね。現実で出来ないことが、NET上で出来るとは思えないけれど。数十年経っても人類は大人に成長できないだろうね。残念だけど。

言葉にしてしまうと陳腐だが、やはり「理想」や「信念」といったものは依然あらゆる社会の重要な構成要素なのである。今回は敢えて「宗教」という挑戦的な単語へのパラフレーズを試みたわけだが、誰がどれほどシニカルな態度をとろうとも、注視さえすれば必ずその裏には宗教が透けて見える。所詮、人間は多重人格、社会は演劇世界である。ある役割を一貫して演じるには、理想や信念といった骨太なアイデンティティは欠かせないのだ。
自分に自覚的であることは大切な要因。そうじゃないと、NETの情報に翻弄されてしまいますよ…という結論をしてみる。現実でもそうあって欲しいなぁと思う。そうしないと、戦争を体験した人たちが亡くなる20年後ぐらいに無神論者と有神論者の戦争になるだろう。そして、それは宗教戦争だ。
by CuFeS2 | 2004-03-16 21:56 | 記事


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